やきもの散歩道ガイド

散歩道


@ 散歩道の入り口にある白い大きな甕は、1940年代に造られたもので、化学薬品を入れる ためのものです。 道路脇にある大きな鉢は「水蓮鉢」といって、中に水を入れ「はすの花」や 「水草」「金魚」などを入れて楽しむものです。庭の片隅などに置かれます。

A 散歩道は坂道が多い所ですが、これは、昔は窯を築くのに斜面を利用していましたから、 自然と丘のような所に焼き物工場が集積されたと言われています。左手の壁画は、小学生の作品です。

B 擁壁の土留めに土管が使われています。常滑のいたる所でこの風景が見られますが、 これは不良品の土管を使った廃物利用です。土管は、上下水道や農業用排水などに使われています。 急激な温度の変化や熱に強く、耐久性に優れています。土管には丸いもの、四角いもの、 枝が出ているもの、ソケットがついているものなどさまざまな種類があります。中でも、 電気のケーブルを通す4穴、6穴、9穴(多孔管)のものがあります。以前に東名高速道路で トンネル事故がおきたとき、トンネルの中で火災が発生しました。しかし、多孔管で保護された ケーブルは火災の中でも焼けることなく無事でした。それほど熱にも強いものです。

C 常滑の代表的な風景の一つであるレンガの煙突です。高いものでは25m、短いものでは 13mほどです。ここの煙突は途中で切られております。地震、台風などで倒壊するのを恐れて 切り詰められているのです。煙突の大きさは、窯の大きさと関連があります。燃焼効率を考えて 築かれることになります。
 常滑のシンボル的風景ともいえるレンガ煙突は、最盛期には300〜400本もあったそうです。 1950年代ごろは、毎日数多くの煙突から真っ黒な煙を吹き上げ、太陽の光が遮られるほど だったと言われています。
 このような形の煙突風景は、常滑の生産品から形づくられたもので、常滑が土管、甕、鉢など 比較的大きな物を生産していたことから、窯の大きさからこの煙突が生まれたものです。 世界中でも珍しい風景ではないでしょうか。
 燃料は、石炭から重油へ、そしてガスへと変わっていきました。ガス窯に切り替わると、 大きな煙突はお役御免になってしまいました。古くて倒壊の危険性のあるレンガ煙突は、 次々と取り壊されていきました。
 現在では、90本ほど残っていますが、完全な姿のものは50〜60本程度です。

D 大きな水蓮鉢、カエルの大甕、壷などが並んでいます。これらは、ひも造りと呼ばれる 手法で造られます。粘土の太いひもをつくり、少しずつ粘土を積み上げていくやり方です。 少し積み上げては乾燥させ、乾いたらまた積み上げていきます。大きなものは1週間ほどかかって 積み上げるそうです。

E  左右に甕が見られますが、これは漬物用の甕です。

F  右下の古い大きな建物は、1850年代に建てられたもので、廻船問屋を営んでいました。 30年ほど人が住んでいませんでしたが、今後、常滑市の計画で交流拠点として整備していく 予定があります。
 海運と焼き物とは密接な関係があり、古い時代から船を使って日本全国に焼き物が運ばれていました。 12世紀の頃には、かなりの海運ルートが確立されていたようです。現在は、ほとんどが陸路で 運ばれています。
 細い坂道には、土管を焼く時に使った敷き輪が埋め込まれ、滑り止めになっています。

G  ここは、通称「土管坂」と呼ばれている所で、散歩道の中の目玉の一つです。「日本名坂 30ヶ所」の一つにも数えられています。美しい土管と、ユーモラスともいえる焼酎瓶の表情を 楽しんでください。足元には、やはり土管の敷輪が埋め込まれています。
 焼き物製の説明板には、常滑焼の流れが書いてあります。

H  1997年にオープンした「登窯広場」です。この地域は、かつて丘陵地帯を中心に 焼き物工場がたくさんありました。建物の中には、1910年代に築かれた「両面焚き倒炎式角窯」が 保存されています。
 建物の2階では、予約制で陶芸を体験できる陶芸教室が開設されています。
 広場の中央にあるモニュメントは、高さ約6mで「時空」というタイトルが付けられています。 現在・過去・未来をイメージしたものだそうです。陶芸作家の柴田正明氏の作品です。
 湾曲な形の大きな陶壁は「輝き」というタイトルが付けられています。5センチ角の ピラミッド型のピースが25,000個使われており、歩く方向によって色に変化が出てきます。 陶芸作家で、芸術大学の教授である杉江淳平氏の作品です。
 東屋の近くに「水琴窟」があります。水琴窟は日本庭園の技術の一つとして 1810年代〜30年代ごろに考案されたと伝えられています。
 茶室の近くの手洗い鉢のあたりに造られたもので、水滴の滴る音を増幅させて、その澄んだ 妙なる音を楽しんだものです。
 構造は、地中にカメのようなものを逆さまに埋め、下の部分に水を溜め、上から水滴をたらすと、 カメの壁に響いた音が増幅され地上まで届いてくるというものです。

I  国の重要有形民俗文化財に指定されている「登窯」です。1887年頃につくられたもので、 1973年頃まで使われていました。
 燃料は石炭と薪で、8昼夜かかって焼き上げたそうです。ここで焼かれていたものは、植木鉢、 急須、火鉢、花器、酒器といったものが多かったそうです。
 登窯は、現在では一部の陶芸家を除いては使う人がいなくなりました。薪や石炭を燃料として いましたので、公害の問題もありますが、構造的に熱効率が悪く、窯焚きも重労働でした。 今では燃料もガス、電気、灯油などが主流になりました。一部の陶芸家の方達が登窯に こだわっているのは、焼き上がりの変化を大事にするからです。計算できない焼き上がりは、 多くの愛好家の人に好まれます。
 後ろ側には10本の煙突があります。窯の周りを一周してみてください。

J  道の上に工場と工場を結んだ「渡り」があります。今ではほとんど見られなくなりましたが、 道を挟んだ工場での作業には能率的だったと思われます。

K  左側の擁壁は、最近修復したものですが、散歩道の景観にマッチするように古い管などを 取り付けて工夫してあります。このような気遣いで散歩道の景観が守られていくのです。

L  伝統工芸士の工房です。ひもづくりで大きな作品が造られています。

M  ここは「いちき橋」と呼ばれる橋です。30年前はもっと煙突の数も多く、動いている 工場もたくさんありました。歩いていただいてお分かりのように、この一帯は車が通れる道が 非常に限られているうえに、大変道幅が狭いです。近代的な生産や大量生産をめざした工場は 郊外へと移っていきました。また、後継者の問題などで工場を閉める所もでてきています。 これからも、景観は少しずつ変わっていくものと思われます。しかし、常滑の特徴的な風景を 大事にしていきたいと思っています。

N  出発点の陶磁器会館へ戻ってきました。お疲れ様でした。散歩道はこの他にBコースがあり 「陶芸研究所」「民俗資料館」「世界のタイル博物館」「窯のある広場資料館」といった施設があります。 時間があればぜひ尋ねてみてください。また、市内にはいくつかの焼き物のギャラリーや卸団地も あります。気に入った常滑焼きをぜひお求めになってください。
 お疲れ様でした。またぜひお出かけください。お待ちいたしております。

とこなめ焼の歴史